大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 平成3年(行ウ)14号 判決

浦和市東高砂町一〇番三〇号

原告

株式会社大永

右代表者代表取締役

岡村安雄

右訴訟代理人弁護士

常木茂

同市常盤四丁目一一番一九号

被告

浦和税務署長 永田四郎

右指定代理人

小池晴彦

田部井敏雄

川名克也

高橋伯吉

武内信義

佐野友幸

瀧正弘

宮澤文雄

宮嵜弘

仲村勝彰

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和六三年一〇月三一日付けでした原告の昭和六一年一〇月一日から昭和六二年九月三〇日までの事業年度分の法人税の更正のうち所得金額八一二九万四〇六四円、納付すべき税額三三一七万六九〇〇円を越える部分及び重加算税賦課処分(ただし、いずれも審査裁決により一部取り消された後のもの)を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は不動産の売買、賃貸借及び代理媒介等を業とする株式会社であるが、昭和六一年一〇月一日から昭和六二年九月三〇日までの事業年度(以下、「本件事業年度」という。)分の法人税について、青色申告書(以下、「本件確定申告書」という。)によって、その法定申告期間内に、次のとおり確定申告をした。

所得金額 八一二九万四〇六四円

法人税額 三三一七万六九〇〇円

2  これに対し、被告は昭和六三年一〇月三一日付けで次のとおり更正及び重加算税の賦課決定(以下、前者を「本件更正処分」、後者を「本件賦課決定処分」、両者を合わせて「本件課税処分」という。)をした。

所得金額 三億九三九五万九九八八円

法人税額 一億六四四九万六二〇〇円

重加算税額 四五九五万八五〇〇円

3  原告は、昭和六三年一二月二八日、国税不服審判所長に対し、本件更正処分及び本件賦課決定処分につき審査請求をしたところ、国税不服審判所長は、平成三年六月一〇日付けで次のとおり、原処分の一部取消しの裁決をした。

所得金額 一億八九〇六万九一一四円

法人税額 七八四四万八九八〇円

重加算税額 一五八四万一〇〇〇円

4  原告は、同年七月三日ころ、右裁決の裁決書謄本を受領して、右裁決を知った。

5  しかしながら、本件課税処分は裁決による一部取消しの後においても、その内容に瑕疵があり、違法である。

6  よって、原告は被告に対し、本件更正処分のうち総所得額八一二九万四〇六四円、納付すべき税額三三一七万六九〇〇円越える部分及び本件重加算税賦課決定処分(ただし、いずれも審査裁決により一部取り消された後のもの)の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の各事実は認め、同4の事実は知らない。

2  同5の主張は争う。

三  抗弁

1  審査裁決により一部取り消された後の本件更正処分の根拠は次のとおりである。

(一) 申告所得金額 八一二九万四〇六四円

右金額は、本件確定申告書に記載されている所得金額である。

(二) 売上計上漏れ 七五万円

原告は、飯田栄一及び飯田文子から請け負った飯田ハイツの工事に関する売上金額七五万円を本件事業年度の売上に計上していなかったので、これを所得金額に加算した。

(三) 雑損失の金額と認められないもの 一億一〇〇〇万円

原告は、東洋物療株式会社(以下、「東洋物療」という。)に対し立退業務手数料一億一〇〇〇万円(以下、「本件手数料」という。)を支払ったとして、右金額を雑損失の金額に算入した。しかしながら、本件手数料支払の根拠となった原告と株式会社熊谷組(以下、「熊谷組」という。)との間の業務請負契約の目的とされる賃借人との明渡交渉に東洋物療が関与した事実はなく、原告は東洋物療に対して本件手数料を支払っていない。したがって、本件手数料の支払は仮装であり、右支払金額を雑損失として損金の額に算入することはできず、右金額は所得金額に加算されるものである。

(四) 右(二)の売上計上漏れに応ずる売上原価 二九七万四九五〇円

右(二)の売上計上漏れに応ずる売上原価は二九七万四九五〇円であり、右金額は本件事業年度の損金の額に算入すべきものであるから、所得金額から減算する。

(五) 所得金額 一億八九〇六万九一四四円

そこで、所得金額は、右(一)の金額に同(二)及び(三)の金額を加算し、同(四)の金額を減算した金額である。

2  本件更正処分の適法性について

本件更正処分(裁決により一部取り消された後のもの)に係る所得金額は一億八九〇六万九一四四円であって、右1(五)の原告の所得金額と同額であるから、本件更正処分は適法である。

3  本件賦課決定処分の根拠及び適法性について

原告は、東洋物療に対して本件手数料を支払ったかの如く仮装し、これに基づき本事業年度の確定申告書を提出した。したがって、本件重加算税の額は、本件更正処分(審査裁決により一部取り消された後のもの)による納付すべき税額七八四四万八九八〇円から、原告の確定申告による納付すべき税額三三一七万六九〇〇円を控除した残額(新たに納付すべき税額)四五二六万円(一万円未満の端数切り捨て後のもの)に一〇〇分の三五の割合を乗じた一七六万七五〇〇円であり、本件賦課決定処分は適法である。

なお、右の新たに納付すべき税額四五二六万円は、すべて本件手数料の支払を理由とする雑損失の金額の否認額に係るものであるから、その全額が本件賦課決定処分の基礎となる税額にあたる。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1  抗弁1のうち、(一)、(二)及び(四)の各事実は認め、(三)及び(五)の各事実は否認する。

2  抗弁2及び3の各事実は否認し、主張は争う。

3  原告の主張

原告は、左記のとおり東洋物療に本件手数料を支払ったのであり、右手数料の支払を仮装したものではない。

(一) 熊谷組は、昭和六一年一〇月二七日、浦和市東高砂町一九九番二(以下、同所の土地は各々地番のみで表示する。)所在の建物(家屋番号二〇〇番四の五、床面積六四・六八平方メートル、店舗兼居宅。以下、「本件建物」という。)を取得したが、鈴木節也(以下、「鈴木」という。)、鈴木を代表者とする有限会社リボン理容室(以下、「日邦」といい、鈴木、リボン理容室、日邦を合わせて「鈴木ら」という。)が本件建物を賃借していた。そこで、熊谷組は、昭和六二年六月一五日付けで原告及び協和不動産株式会社(以下、「協和不動産」という。)との間で、原告及び協和不動産が、鈴木らから本件建物明渡の承諾を得て、同人らが同年八月二〇日までに本件建物を完全に明渡すようにする等の業務を請け負い、熊谷組が原告及び協和不動産に対し報酬として五億三〇〇〇万円を支払うことを内容とする業務請負契約を締結した(以下、「本件業務請負契約」という。)。原告及び協和不動産は、本件業務請負契約に基づき、熊谷組から、昭和六二年六月一五日に一億三〇〇万円、同年八月二〇日に四億二七〇〇万円の支払を受け、原告はそのうち三億二〇〇〇万円を取得し、協和不動産は二億一〇〇〇万円を取得した。

(二) 原告は、東洋物療に対し、本件手数料として、同年八月二一日に四三〇〇万円、同年九月二九日に六七〇〇万円を支払い、協和不動産は星野夏男(以下、「星野」という。)に対し一億一〇〇〇万円を支払った。その支払の理由は次のとおりである。

(1)〈1〉 一九九番一ないし八及び同所二〇〇番一ないし四の各土地(以下、一九九番四ないし八の土地を「本件北側土地」、その他の土地を「本件南側土地」といい、合わせて「本件各土地」という。)並びに本件各土地上の建物はもと寺田義光の所有であったところ、同人は昭和五〇年一〇月八日に死亡し、六名の相続人が同人を相続した。

〈2〉 一九九番四(昭和六〇年八月二日の分筆前)の土地上の建物の賃借人であった榎本辰蔵(以下、「榎本」という。)と一九九番五の土地上の建物の賃借人であった株式会社日進堂時計店(以下、「日進堂」という。)は、右各土地と建物を相続した長島静江から右各賃借建物とその敷地を買い受けたが、右各土地を売却することとし、原告は、昭和六〇年ころから、右両名のために買主を探していた。

他方、東洋物療の代表者室岡克己(以下、「室岡」という。)は三菱建設株式会社(以下、「三菱建設」という。)からビル用地買い受けの依頼を受けて、右各土地に担当者を案内し、三菱建設も投資物件としてその買い取りをかなり具体的に検討していた。

ところが、三好商事と日建ハウスの紹介で右各土地の買主として岩崎米吉が現れ、日建ハウスと懇意であった日進堂の依頼により原告と東洋物療は手を引かざるをえなくなった。しかし、結局、原告が仲介人となって、右各土地と地上建物は右岩崎に売却され、その後同人は株式会社日建(以下、「日建」という。)に右各土地と地上建物を売却し、中間省略登記により日建宛に所有権移転登記がなされた。

〈3〉 有限会社宮清(以下、「宮清」という。)は、一九九番三の土地、一九九番六の土地(後に一九九番八の土地と交換された。)、一九九番一の土地、二〇〇番一ないし四の各土地を取得した後、これを転売することとし、有利な買主を探していた。原告と東洋物療は、右各土地につき三菱建設との間に売買契約が進められるよう奔走したが、分筆前の一九九番及び二〇〇番の土地の中央に南北に存在した私道(以下、「本件私道」という。)の問題で宮清の取引を妨害したような結果となり、そのため宮清と不仲となった。そこで、原告は、室岡と懇意な古金徳夫(以下、「古金」という。)に依頼して、宮清の担当者と接触させた。古金は、約一年にわたり宮清の担当者と接触し、宮清の取得した土地につき、価格等の条件が同じであれば、必ず古金に売却するとの約束をとりつけたが、宮清はこの約束を破り、昭和六一年一〇月、取得した土地をすべて熊谷組に売却した。

〈4〉 一方、星野はその数年前から日邦の相談役として本件建物及びその敷地の問題について交渉の窓口のような立場にあったところ、協和不動産の前代表者都築嘉弘(以下、「都築」という。)は、星野の同意を得て、昭和六一年五月五日ころから本件建物及びその敷地の問題に関与するようになっていた。そこで、原告と東洋物療は、鈴木ら及び星野の了解を得て、同人らや協和不動産と組み、本件建物についての鈴木らの立退補償の問題と宮清の右約束違反問題につき有利に事を運ぼうと計画した。星野は当初右計画に同意するのを渋ったが、その宅地建物取引業の許可が更新されていないこと等もあって自らは動きにくいことから、右許可を有する原告や協和不動産と協力することにしたので、原告や協和不動産は鈴木らから本件建物の明渡交渉に関する委任状(以下、「本件委任状」という。)の交付を受けた。

こうして、本来ならば本件建物の立退交渉に関与できる立場になかった原告と協和不動産が、熊谷組との間で、右約束違反問題も考慮されて高額の報酬額が定められた業務請負契約と称する極めて異例な契約(本件業務請負契約)を締結し、本件建物の立退問題に関与することができるようになった。

〈5〉 以上のとおり、原告と協和不動産が関与できなかったはずの業務に参加できたのは星野と鈴木の了解があったからであり、また、鈴木らの立退補償問題の経緯に照らすと、三菱建設への土地の売り込みに奔走した東洋物療の努力に報いる必要があったから、本件業務請負契約に基づく報酬の分配先から東洋物療と星野を除くことはできなかった。

(2) また、東洋物療及び星野には本件建物の夜警に協力してもらった。

(三) 東洋物療が原告代表者岡村安雄(以下、「安雄」という。)の長男岡村良雄(以下、「良雄」という。)らに対して昭和六二年九月二九日に六三〇〇万円を支払った理由は次のとおりである。

(1) 良雄は、東洋物療に対し、〈1〉昭和五九年三月五日に五〇〇万円を貸付け、〈2〉同年七月二四日に五〇〇万円を貸付け、〈3〉昭和六〇年三月一〇日に一八〇〇万円を貸し付けたので、合計二八〇〇万円の貸金債権を有し、室岡に対し、昭和四五年一一月八日に一〇〇〇万円を貸付け、同額の貸金債権を有していた。

安雄の妻岡村邦枝(以下、「邦枝」という。)は、東洋物療に対し、昭和五五年一〇月二五日に一〇〇〇万円を貸し付け、原告は、東洋物療に対し、昭和五四年四月二七日に一五〇〇万円を貸し付けた。

(2) 昭和六二年八月ころ、本件建物の明渡を求める業務が程なく終了する見込みとなり、原告が東洋物療に対し相当の報酬を支払うことになるところから、室岡、原告、良雄及び邦枝の間で、右各貸金債権関係を清算しようとの話し合いが行われた。

そこで、原告は、東洋物療に対し、同年八月二一日に本件手数料のうち四三〇〇万円を支払い、同年九月下旬ころ、東洋物療と原告、良雄及び邦枝との間で、東洋物療の債務は報酬残金支払の際に返済し、室岡が良雄から借り受けた前記金銭は、真実は東洋物療のために使用されたものであるので、室岡の債務は東洋物療が弁済し、良雄らは各貸金債権についての利息と損害金を請求しない旨の合意が成立した。

(3) 原告は、右合意に基づき、同年同月二九日、自己の有する五二〇〇万円と良雄から借り受けた一五〇〇万円の合計六七〇〇万円を本件手数料の残額として東洋物療に支払った。

(4) 東洋物療は、右六七〇〇万円を埼玉銀行浦和東口支店の東洋物療名義の普通預金口座(以下、「東洋物療名義口座」という。)に入金したが、右金銭を次のとおり処理した。

〈1〉 二八〇〇万円と一〇〇〇万円に分けて合計三八〇〇万円の払い戻しを受け、これを良雄に対し前記債務の弁済として支払った。良雄は、右金銭をその預金口座に預金した。

〈2〉 一〇〇〇万円の払い戻しを受け、これを邦枝に対し前記債務の弁済として支払った。同女は、右金銭をその預金口座に預金した。

〈3〉 原告は右(3)のように良雄から一五〇〇万円を借り受けたので、東洋物療から支払って貰うように依頼し、東洋物療はこれを承諾して、良雄に一五〇〇万円支払い、同人はこれをその預金口座に入金した。

(四) なお、良雄は、昭和六二年九月二九日に安雄の長女金子二重(以下「二重」という。)及び次女藤沢みどり(以下、「みどり」という。)に各一一〇〇万円宛を支払った。その理由は、右三名が昭和六〇年三月六日に持分三分の一宛で共有していた川口市栄町一丁目一八番一宅地七二、七三平方メートル外一筆及びその地上の建物を四三一六万七〇〇〇円で売却し、各自一四三八万九〇〇〇円ずつを取得する筈であったのに、右売買代金を収受した良雄がみどりと二重に右金額を交付しなかったので、良雄は右債務の弁済として前記支払をしたものである。

(五) 後記被告の反論五3(三)の事実、及び(四)中良雄、二重、みどり及び邦枝名義の右各普通預金口座が昭和六二年九月二九日に開設されたことは、認める。

五  原告の主張に対する被告の反論等

1  熊谷組が昭和六一年一〇月二七日に本件建物を取得し、その当時鈴木らが本件建物を賃借していたこと、昭和六二年六月一五日に熊谷組が原告及び協和不動産との間で本件業務請負契約を締結し、原告らは熊谷組から同日一億三〇〇万円、同年八月二〇日に四億二七〇〇万円の支払を受け、そのうち原告は三億二〇〇〇万円を、協和不動産は二億一〇〇〇万円を取得したことは、いずれも認める。

2  本件業務請負契約の経緯について

(一) 原告及び協和不動産と本件各土地との関わりについて

榎本及び日進堂が昭和六〇年ころ、一九九番四(昭和六〇年八月二日の分筆前のもの)及び一九九番五の土地を日建に譲渡する際、仮に宮清と原告との間で私道問題、すなわち、右各土地の譲渡により私道の通行権が侵害されることになる宮清が右各土地の登記簿上の買主である岩崎米吉に対して内容証明郵便を送付したことに端を発する紛争が生じたとしても、右紛争は宮清と日建とが各々所有する土地を交換したことによって消滅したものであり、また、宮清は、本件私道について紛争が生じたとの認識はなく、原告及びその代表者の名前すら知らない。したがって、原告の名で本件南側土地を買い受けることを明らかにできない事情は存在しなかった。

本件南側土地の所有者であった宮清及び宮清と行動を共にしていた守屋は、原告も古金なる人物も知らない。

三菱建設は、本件北側土地及び南側土地のいずれについても、その買収を計画したことはない。

以上のとおり、原告及び協和不動産が本件各土地の買収に関与したとの原告主張には裏付けがなく、その主張は事実に反する。

(二) 本件業務請負契約の請負代金決定の経過について

右(一)のとおり、原告が直接あるいは間接に本件南側土地の買収を企画していたことはないから、熊谷組や宮清が右土地の売却に関し原告や室岡に対して協定違反行為を行ったことが本件業務請負契約における報酬額が高額になる原因となったとの原告の主張は、その前提を欠くものである。また、仮に右協定違反行為があったとしても、その主張に照らすと、その責任を問われるべき者は宮清であることが明らかであって、原告が右協定違反の行為から生じた損害の賠償を熊谷組に対して請求しうる理由はない。むしろ、原告は熊谷組との交渉に当たり、あたかも大半が鈴木らに支払われる立退料であるかのような態度で数億円を要求し、熊谷組としては、高額すぎると考えたが、早期に解決する必要があることから、その大半は立退料であると考え、原告に対する報酬等一切を含めた金額として五億三〇〇〇万円を了承したものである。

(三) 本件明渡交渉における関与について

本件委任状が作成された時にはまだ本件業務請負契約は締結されておらず、したがって本件業務請負契約の報酬金額は決まっていないから、右時点で鈴木が報酬の平等分配を約束することは不合理であり、また原告は本件明渡交渉に参加するに当たりリボン理容室の移転問題についての報酬を一切要求しないとの約束を鈴木ら及び星野と交わしたということと矛盾し、さらに、鈴木は受け取る金額を一億円とすること以外は立退料の分配について全く口出しをしていないとの証人鈴木の証言とも整合しない。そして、仮に星野が介在していたとすれば、鈴木との間で本件建物明渡の交渉に関する約束を別途交わしている星野が自分の取り分が減るようなことに同意した上、原告らの本件明渡交渉への参加につき鈴木を説得するようなことはありえないことである。

(四) 室岡及び星野の関与について

周辺住民は、原告らが夜警をしていたことも、投光機による照明がされていたことも否定しており、原告らが本件建物の夜警を実施したことを裏付ける客観的な資料は存在しない。また、原告らが主張する夜警を実施したという時期には、鈴木らがまだ本件建物に居住していたのであって、本件建物につき警備をする必要は何らなかった。

そして、室岡及び星野は、昭和六〇年当時の本件南側土地の所有者である大沼光子や宮清、並びに本件明渡交渉の一方の当事者である熊谷組や三好商事の中村専務との交渉に全く関与していない。また、東洋物療は、店舗は事務所もなく、設立以来商号や本店所在地を転々と変動させながら法人税の確定申告書を一度も提出していないなど営業実態の認められない法人であって、室岡ないし東洋物療は本件業務請負契約の履行に積極的な役割を果たしうる実体を備えていなかった。

要するに、室岡は、原告と協和不動産の依頼を受けて、本件明渡交渉に関与したと仮装するのに一役買っただけの存在であり、実質的には本件明渡交渉に全く関与していなかった。

また、星野は現在に至までその所在すらようとして知れず、配下に「若い者」を従えているような者であり、そして、同人は鈴木と深い交際をしていたというのであるが、本件建物の明渡が完了後の移転先である鈴木の理容室さえ訪れなくなっており、鈴木も星野の職業や資格を明らかにできない。したがって、これらの事実を勘案すれば、星野の実態はいわゆる「かぶり屋」(他の納税者の架空の支払について確定申告をするなどしてあたかもそれを受け取ったかのように仮装して他の納税者の脱税的行為を助けながら、自分は当該確定申告に係る税金は納付しない者)であるというべきである。

3  本件手数料の支払は、左記のとおり偽装されたものでである。

(一) 前記四3(三)の冒頭の事実中、良雄が安雄の長男であること、同(三)(1)の事実中、邦枝が安雄の妻であること、同(三)(4)の事実中、東洋物療名義口座に六七〇〇万円が入金されたこと、同〈1〉の事実中、右口座から二八〇〇万円と一〇〇〇万円、合計三八〇〇万円が払い戻され、良雄名義の預金口座に右金額が預金されたこと、同〈2〉の事実中、東洋物療名義口座から一〇〇〇万円が払い戻され、邦枝名義の預金口座に右金額が預金されたこと、同〈3〉の事実中、東洋物療名義口座から良雄名義の預金口座に一五〇〇万円が入金されていること、並びに四3(四)の事実中、二重が安雄の長女、みどりが安雄の次女であり、良雄名義の普通預金口座から二回にわたり一一〇〇万円宛(合計二二〇〇万円)が振替処理によって同銀行の二重、みどり名義の各普通預金口座に各一一〇〇万円ずつ入金されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 昭和六二年八月二一日に原告から東洋物療名義口座に入金された四三〇〇万円、及び同年九月二九日に右口座に入金された合計六七〇〇万円のうち五三〇〇万円は、それぞれ入金後直ちに引き出されている。

(三) 東洋物療名義口座は同年八月一九日に開設され、前記の合計六七〇〇円が引き出された後、現在に至るまで全く使用されていない。

(四) 良雄、二重、みどり及び邦枝名義の右各普通預金口座はいずれも同年九月二九日に開設され、かつ右各口座番号は続き番号(チェックナンバーである下一桁を除外)となっている。

(五) 昭和六三年四月六日に被告が原告に対して実施した税務調査において、原告事務所に保管されていた印章の印影を採取したところ、その中には良雄、みどりの右各普通預金口座の開設に使用された印章の印影と一致するものが存在していたのであって、良雄、みどりの右各口座は原告の管理下にあったものである。

(六) 良雄らの東洋物療及び室岡に対する貸金債権の存在については、次のとおり疑問がある。

(1) 前記のとおり、東洋物療は経営実態のない会社であり、その代表者の室岡も住民票上の住所が転々としているばかりでなく、実際にもその所在がようとして知れない者であるのに、良雄らはこれらの者に対する多額の貸金債権を長期にわたって放置しており、債権発生原因たる具体的取引内容も明らかではなく、担保も設定していない。

(2) 東洋物療は長期間支払を滞り、その経済的信用が低いのに、原告が相殺をせずに本件手数料を支払ったのは不合理である。

(3) 昭和四五年一一月八日貸付の借用証書に貼付されている収入印紙は昭和五〇年三月二八日に告示され、同年四月一日から適用されたものであり、右貸付日には流通しておらず、また、六〇〇円の印紙額は貸付額に対応していない。

(4) 昭和五四年四月二七日貸付の信用証書の債務者は、埼玉県大宮市本郷町四八二番地東洋物療株式会社、その代表取締役は室岡と表示されているが、右貸付日当時には東洋物療の商号は株式会社ジェー・アール・シーであり、その本店所在地は東京都新宿区左門町一で、代表取締役は中西誠であった。

(5) 東洋物療から貸付金の弁済を受けたのであれば、現在原告が借用証書の原本を所持しているのは不自然である。

4  以上のとおり、本件手数料一億一〇〇〇万のうち、東洋物療が昭和六二年九月二九日に支払を受け良雄らに弁済したという六三〇〇万円は、安雄が東洋物療に対する支払という外形を作出したうえで安雄の家族名義の預金口座に入金することにより原告の資産を流出させたものであり、右同日に東洋物療名義の右普通預金口座から四〇〇万円が現金で引き出されているが、これも右一連の手続の一環として行われたものである。

また、右3の事実からすれば、東洋物療の右預金口座は事業活動において使用するのではなく、ただ本件手数料を受領したという外形を作出するために新規に開設されたことは明らかであるから、昭和六二年八月二一日に支払ったとされる四三〇〇万円も、入金の事跡だけを残して直ちに払い出すという手法が採られていることからも、東洋物療の事業活動に対する対価として事実支払われたものではなく、単に東洋物療名義の預金口座に入金する外形が作出されたにすぎない。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  請求原因1ないし3の各事実は当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば同4の事実が認められる。

二  そこで、抗弁について検討する。

1  抗弁1のうち、(一)、(二)及び(四)の各事実(申告所得金額、売上計上漏れ、売上計上漏れに応ずる売上原価)については、当事者間に争いがない。

2  抗弁1(三)(本件手数料の支払)について

(一)  熊谷組は昭和六一年一〇月二七日に本件建物を取得し、当時鈴木らが本件建物を賃借していたこと、昭和六二年六月一五日に熊谷組は原告及び協和不動産との間で本件業務請負契約を締結し、原告及び協和不動産が本件業務請負契約に基づき、熊谷組から同日に一億三〇〇万円、同年八月二〇日に四億二七〇〇万円の支払いを受け、原告はそのうち三億二〇〇〇万円を、協和不動産が二億一〇〇〇万円をそれぞれ取得したことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  本件業務請負契約に関する東洋物療、室岡、星野の関与の有無、並びに熊谷組からの受領金の配分についての合意の有無について検討する。

(1) 官署作成部分は成立につき争いがなく、その余の部分は原告代表者本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一六号証の四、右尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一四号及び第一七号証、成立に争いがない甲第一九号証の四ないし六、八、第二六号証、乙第二七号証、原告代表者本人尋問の結果によれば、左記の事実が認められる。

本件各土地及びその地上建物はもと寺田義光の所有であったが、同人が昭和五〇年に死亡し、六名の相続人がこれを相続し、一九九番四(昭和六〇年八月二日の分筆前)の土地上の建物の賃借人であった榎本と一九九番五の土地上の建物の賃借人であった日進堂は、昭和五九年六月二五日に右土地及び建物を相続した長島静江からそれぞれ賃借建物とその敷地を買い受け、昭和六〇年二月一九日、原告が仲介人となって、右一九九番四と一九九番五の各土地が日建に売却されたが、日建に対する所有権移転登記手続はなされなかった。同年四月四日ころ、宮清は、内容証明郵便により、一九九番四と一九九番五の各土地につき所有権移転登記請求権仮登記を経由していた岩崎米吉に対し、本件私道につき通行権を有するからこれを侵害しないようにされたい旨を申し入れ、そこで、同年七月二九日、日建と宮清は、その地上の建物を含め一九九番四の土地の一部と一九九番六の土地を交換し、同年八月二日、交換された一九九番四の土地の一部は一九九番八の土地として分筆登記された。

(2) 前掲甲第一九号証の八、第二六号証、官署作成部分は成立につき争いがなく、その余の部分は弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第三〇ないし第三二号証、成立に争いがない甲第一九号証の一ないし三、第二〇号証の一ないし四、第二一号証の一ないし六、第二二号証、乙第二九号証、並びに原告代表者本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

宮清は、昭和五九年一〇月九日に二〇〇番一、二、一九九番一の各土地とその地上建物を、昭和六〇年四月二四日に二〇〇番三、四の各土地とその地上建物を、同年七月二九日に一九九番八の土地を取得し、また一九九番三の土地の借地権とその地上建物の借家権、一九九番二の土地の一部についての借地権を取得し、昭和六一年一〇月二七日、右不動産及び権利を熊谷組に売却し、守屋は、昭和六一年三月六日に二〇〇番四の土地上の建物の借家権並びに同土地の一部についての借地権とその地上建物を青山英一から取得し、同年一〇月に大沼光子から一九九番二及び三の各土地とその地上建物を取得し、同月二七日に右各不動産を熊谷組に売却したこと、熊谷組は、同日一九九番四(昭和六〇年八月二日分筆後のもの)ないし七の各土地も取得し、結局これら土地一帯の約一一八四、一一平方メートルを所得した。

(3) ところで、前掲甲第一四号証、第一七号証、成立に争いがない乙第四号証、原告代表者本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一五号証、官署作成部分はその方式及び趣旨により公務員が作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべく、その余の部分は右尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一六号証の三、並びに甲第五号証の存在、証人鈴木節也の証言、右尋問の結果によれば、以下の事実が認められるが如くである。

〈1〉 本件各土地の買収を巡り、宮清、守谷のグループと、日進堂、榎本、原告(安雄を含む)のグループが対立しており、特に本件私道の通行に関し原告と宮清が衝突していた。そこで、三菱建設から本件南側土地約六六〇平方メートル(二〇〇坪)以上をビル用地として買収するように依頼を受けた室岡は、対立する宮清と交渉できないので、昭和六〇年一〇月ころ古金に右買収につき協力を依頼し、そこで古金は、宮清から交渉を依頼されていた日光商事株式会社の代表者小川満寿夫と買い取りの交渉を行ったところ、昭和六一年一〇月ころ、古金と宮清との間で、他からの売買代金の申出が同一なら古金の方に売却し、他の申し込みの方が高いときは、古金にも検討の機会を与えるという合意に近いものができた。しかし、宮清は右合意に反してその所有土地等を熊谷組に売却した。

〈2〉 星野は、昭和五八年ころからリボン理容室、日邦、鈴木に出入りし、日邦の不動産部門の相談役をしていた。そして、熊谷組が浦和駅東口の土地を取得したところ、原告は、室岡の助言により、浦和市長に宛て、熊谷組が本件各土地につき建築確認を申請した場合、これに本件私道を含んでいるときは異議を述べる旨の内容証明郵便を送付し、更に室岡は、熊谷組に対して立退補償料を、宮清に対して違約補償料を請求して交渉するためには鈴木らと連合するように提案した。すると、星野もこれを了承し、同人が鈴木に熊谷組との交渉を原告に委任するように勧めたため、リボン理容室、日邦、鈴木は原告に熊谷組との交渉を委任することとし、昭和六一年一一月二九日に原告にその旨の委任状(本件委任状)を交付した。このように原告が鈴木と融和できたことにより、熊谷組との交渉において原告を有利な立場にした。その際原告、協和不動産、東洋物療及び星野は、報酬を平等に分配することを約し、その後も原告は、熊谷組との交渉について星野と協議をした。

〈3〉 昭和六一年一〇月末ころ、熊谷組は本件各土地に存し空き家となった一〇店舗の建物を次々と壊し、そのためいわば薪の山がかなりの間続いたところ、リボン理容室は賃借家屋であるため火災等により滅失すれば、鈴木らには何らの権利も残らないので、同年末ころから約九か月間、原告、協和不動産、東洋物療、星野が交替で午後一〇時から午前二時ころまでリボン理容室の夜警を行い、その際番犬を用い、表通り以外の三方に投光器を設置するとともに、堀と木戸も設置し、消火器を全部で七個位備置した。

〈4〉 昭和六二年六月一五日に岡村、協和不動産の代表者、星野、室岡、鈴木が鈴木方で会合し、熊谷組から支払を受けた金銭の配分につき協議し、原告、協和不動産、東洋物療、星野、鈴木に各一億円宛分配し、鈴木に二〇〇〇万円を配分しようとしたが同人が固辞したので、昭和五八年以来長年鈴木に協力した星野に一〇〇〇万円、古金に諸経費として一〇〇〇万円を配分することとし、協和不動産は、昭和六二年八月二一日に星野に対し、本件業務請負代金中から一億一〇〇〇万円を支払った。

(4) しかしながら、他方において、以下の事実が認められる。

〈1〉 官署作成部分は成立につき争いがなく、その余の部分は弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第三五号証によれば、三菱建設は、昭和六一年二月から平成四年四月一五日までの間において、本件南側土地の買収に関しその取り纏め等を何人にも依頼したことはないこと。

〈2〉 前掲乙第三〇及び第三一号証によれば、宮清の役員であった宮田清治(以下、「宮田」という。)及び守屋は、本件私道の通行に関して紛争があったことは思っておらず、宮田は、榎本及び日進堂が本件私道の問題を持ち出したのは、土地を有利に売却するための口実であると解していたこと、宮田及び守屋は、原告、安雄、古金、室岡、東洋物療と会ったことはなく、したがって面職もないこと。

〈3〉 前掲乙第三二号証によれば、青山英一に対してその借地権等の売却や立ち退きを求めて交渉したのは宮清、守屋及び有限会社コモン企画の常務取締役林康治であり、青山は原告及び協和不動産については知らないこと。

〈4〉 証人鈴木の証言によれば、鈴木は、その賃借建物の底地の所有者であった大沼光子とは、直接交渉しており、星野に右交渉を依頼したことはなく、安雄とはリボン理容室の客として面識があったが、同人や原告と対立関係にあったことはなく、原告、協和不動産、東洋物療、星野の間の報酬の配分の話合いには関わっていないこと。また、同証言によっても、星野が熊谷組との交渉において特に何らかの役割を果したことは認められないこと。

〈5〉 前掲乙第四号証、官署作成部分はその方式及び趣旨により公務員が作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべく、その余の部分は弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一ないし第三号証によれば、昭和六一年一〇月に熊谷組から本件建物の明渡し交渉の委託を受けた有限会社コモン企画の常務取締役林康治が交渉を行った相手は安雄だけであり、交渉の過程で協和不動産の関係者と会ったことはなく、鈴木からも原告以外の者の名前を聞いたことがなく、その後同年一一月に熊谷組から本件建物の明渡交渉の委託を受けた三好商事株式会社の専務取締役中村久彌が交渉を行った相手も安雄だけであり、交渉成立後に協和不動産の名前を聞いたことはあるが、星野や室岡については全く知らず、熊谷組において本件建物の明渡業務を担当していた同社北関東支店の高瀬弥重も明渡交渉の相手方としては安雄の氏名しか報告を受けておらず、高瀬は、昭和六二年二月中旬ころ、右中村から原告が立退料として七億五ないし六〇〇〇万円を要求したとの報告を受けて、大幅な減額を要求し、結局同年四月下旬ころ、右中村から立退料は五億三〇〇〇万円以下にはならない旨の報告を受け、右金額は高額に過ぎると考えたが、早期に解決する必要があったので、その大半は立退料であると考えて社内の稟議に付し、同年五月二一日、熊谷組は原告に対する報酬等一切を含めて五億三〇〇〇万円で契約の締結に応ずる決定をしたこと、なお鈴木らが原告に対し昭和六一年一〇月三〇日付けで交付した本件委任状には、本件業務請負契約の締結前に至り受任者として協和不動産が追加されたこと。

〈6〉 成立に争いがない乙第三三及び第三四号証、並びに原告代表者本人尋問の結果によれば、本件北側土地上の建物は昭和六〇年一〇月二三日に取り壊されえて整地され、本件南側土地上の建物のうち一九九番一、二〇〇番一ないし四の各土地の上の建物部分は、熊谷組が本件各土地を取得した昭和六一年一〇月二七日ころには取り壊されて、右土地はほぼ整地されており、本件各土地上には本件建物と一九九番三の土地上の建物が残っているだけであり、本件建物は本件各土地のほぼ中央東側に道路に面して位置していたこと、及び本件各土地の南側の道路を隔てて存するスミレヤ紙文房具店の者、及び本件各土地の北側に一軒を隔てて存する霜田洋傘店の者やその西側に住んでいた小林茂一の妻は、昭和六二年当時に本件各土地において柵が設置されたり、夜警がされていたことを否定していること。

〈7〉 成立に争いがない乙第四二号証によれば、室岡は、昭和六二年六月一三日から同年同月一九日までは出国していたこと。

後記のように東洋物療は、店舗等を有せず、営業の実体がないものであること。

〈8〉 成立に争いがない乙第三八号証及び弁論の全趣旨によれば、昭和六三年三月一四日に星野名義の昭和六二年分の所得税の確定申告書が税務署に提出されているが、その総合課税の所得は、原告が本件手数料と主張する金額と同額の一億一〇〇〇万円のみであり、右申告納税額は納付されていないこと、また証人鈴木の証言によれば、星野の職業や資格は詳らかでなく、同人は本件建物明渡の終了後は本件建物の道路を隔てて交差点の向かい側に移転した鈴木の理容室を訪れなくなり、現在に至るまでその所在が知れないこと、成立に争いがない乙第三七号証、第四〇号証、第四一号証によれば、昭和六二年八月二一日に埼玉銀行の星野名義の普通預金口座に入金された一億一〇〇〇万円は同日中にその金額が引き出されており、右預金口座は右一億一〇〇〇万円の入金の前日である同月二〇日開設されたものであること。

(5) そうすると、本件業務請負契約の当事者は、そもそも原告と協和不動産だけであり、東洋物療或いは室岡、及び星野は右契約の当事者ではなく、そして三菱建設は室岡に本件土地南側の買収を依頼したことはないから、室岡が三菱建設から土地の買収の依頼を受けたということはできず、本件私道についても特段紛争があった訳ではなく、土地の交換によって円満に解決しており、宮田は榎本や日進堂が本件私道の問題を持ち出したのは土地を有利に売却するための口実であると解していたものであり、また熊谷組と交渉をしたのは原告だけであり、さらに熊谷組が本件各土地を取得した後その夜警をする必要があったとはいえず、近隣の住民は夜警がされていたことを否定しており、また、そもそも東洋物療は営業の実体を有しないものである。そこで、このような事実に照らすと、東洋物療が鈴木らと熊谷組との交渉に特段寄与したということはできず、東洋物療が一億一〇〇〇万円の高額な報酬を受けるべき合理的理由があったと認めることは到底できない。なお、星野は鈴木に対し熊谷組との交渉を原告に委任するように助言したが、鈴木は安雄や原告と別段対立関係にあったものでないから、右助言が原告にとって重要な意義があったとはいえず、それ以上に星野が熊谷組との交渉につき何らかの役割を果したものではなく、また底地の前所有者であった大沼との交渉は、鈴木らが自ら行ったものであり、そして星野の前記口座の開設や同口座への入出金が不自然であるばかりか、同人は所在不明となっている。

そして、熊谷組から支払を受けた金銭の配分については、その金額が高額であるにもかかわらず、原告、協和不動産、東洋物療、星野、鈴木の間で何ら配分の合意に関する書面は作成されておらず、むしろ右配分につき合意をしたという昭和六二年六月一五日には室岡は国外に居たものである。そこで、このような事実に照らすと、右(3)〈4〉の原告、協和不動産、東洋物療、星野及び鈴木が、昭和六二年六月一五日に熊谷組から受けた金銭につき分配の合意をし、協和不動産が星野に一億一〇〇〇万円を支払ったとの部分は、俄かに採用することができない。なお、甲第二七号証には、協定書と題し、原告、協和不動産及び東洋物療名義の各記名押印があり、右三社が昭和六二年六月二〇日に熊谷組から受けた金銭の配分を原告に一任する旨合意したとの記載があるところ、以上認定の事実に基づけば、甲第二七号証の東洋物療の作成名義部分はその成立に疑問があるばかりか、右内容は、熊谷組からの受領金の配分は関係者で協議して決定したとの原告の主張に反するものである。

(三)  原告から東洋物療に対する本件手数料の支払の有無について

(1) 昭和六二年八月二九日に東洋物療名義口座に六七〇〇万円が入金されたこと、右口座から二八〇〇万円と一〇〇〇万円の合計三八〇〇万円が払い戻され、良雄名義の預金口座に右金額が預金されたこと、さらに東洋物療名義口座から一〇〇〇万円が払い戻され、邦枝名義の預金口座に右金額が預金されたこと、東洋物療名義口座から良雄名義の預金口座に一五〇〇万円が入金されたこと、良雄名義の普通預金口座から二回にわたり一一〇〇万円宛が振替処理により埼玉銀行の二重とみどり名義の各普通預金口座に各一一〇〇万円宛入金されたこと、邦枝が安雄の妻であり、良雄はその長男、二重は長女、みどりは次女であること、東洋物療名義口座は同年八月一九日に開設され、右六七〇〇万円が引き出された後、現在に至るまで全く使用されていないこと、良雄、二重、みどり及び邦枝名義の右各普通預金口座はいずれも同年九月二九日に開設されたものであることは、いずれも当事者間に争いがなく、成立に争いがない乙第一二ないし第一五号証、第一七号証、第一八号証、第二〇ないし第二二号証、第二三号証の一、二、第二四号証によれば、東洋物療名義口座からの合計三八〇〇万円の払い戻し、及びそれ以後の右各入出金は、すべて昭和六二年九月二九日に行われたことが認められる。

(2) ところで、原告は、東洋物療に一億一〇〇〇万円を支払い、東洋物療名義口座から払い戻された右合計六三〇〇万円は、東洋物療が良雄、邦枝及び原告に負担していた各貸金債務並びに室岡が良雄に対して負担していた貸金債務の弁済として支払われたものであると主張し、前掲甲第一五号証及び原告代表者本人尋問の結果には、これに添う部分があり、甲第二号証の一、二は、いずれも原告に宛てた東洋物療名義の領収書であり、前者は、昭和六二年八月二一日付けで、金額は四三〇〇万円、後者は、同年九月二九日付けで金額は六七〇〇万円であり、いずれも「東洋物療株式会社室岡克己」の記名があり、社印と代表者印が押捺されており、また甲第九号証の一ないし三、第一一号証の一、第一二号証は、いずれも借用証書と題し、東洋物療を借主として、「東洋物療株式会社室岡克己」の記名があり、社印と代表者印が押捺されている書面であり、甲第九号証の一は昭和五九年三月五日付けで、貸主を良雄とし、弁済期を同年五月末日、貸付額を五〇〇万円、同号証の二は同年七月二四日付けで、貸主を良雄とし、弁済期を同年一〇月二四日、貸付額を五〇〇万円、同号証の三は昭和六〇年三月一〇日付けで、貸主を良雄とし、弁済期を昭和六一年二月末日、貸付額を一八〇〇万円、甲第一一号証の一は昭和五五年一〇月二五日付けで、貸主を邦枝とし、貸付額を一〇〇〇万円、満期を昭和五六年二月二五日とする手形及び小切手で返済する旨、甲第一二号証は昭和五四年四月二七日付けで、貸主を原告とし、貸付額を一五〇〇万円、仙台ラドンが完成した時に清算する旨の記載があり、また甲第一〇号証は、借用証書と題し、昭和四五年一一月八日付けで、室岡を借主とし、同人の氏名が手書されて押印がなされ、貸主を良雄とし、貸付年月日を昭和四五年一一月八日、弁済期を昭和四六年一〇月三一日、貸付額を一〇〇〇万円とする記載がなされている。

(3)〈1〉 しかしながら、成立に争いがない甲第一及び第三号証、乙第七号証の一ないし三によれば、東洋物療は、昭和五二年一一月八日に商号を株式会社ジェー・アール・シー、本店所在地を東京都新宿区左門町一番地、目的をラドン・イオン吸入浴療法の普及、不動産の売買、賃貸、仲介、管理業等として設立され、その代表取締役は中西誠であったが、昭和五四年八月三〇日に商号を東洋物療に、本店所在地を埼玉県大宮市本郷町四八二番地に変更し、代表取締役に室岡が就任した旨の商業登記がなされ、さらに昭和六二年一〇月二六日に本店所在地を東京都足立区足立三丁目三三番七号に変更した旨の商業登記がなされているが、東洋物療は実際には本店所在地を含めいずこにも店舗や事務所はなく、昭和五二年に設立して以来、法人税の確定申告書を一度も提出していないこと、室岡の住民票上の住所は、昭和五九年一一月二六日当時は東京都足立区足立三丁目一四番四号、昭和六二年一〇月二六日当時は同区三丁目三三番七号上原コーポ四〇三号室、昭和六三年二月二九日当時は群馬県高崎市栄町一三番一三号シャトレーサンガム四〇三号室となっており、その実際の所在地が知れない者であることが認められる。

〈2〉 そうすると、前記昭和五四年四月二七日付けの借用証書(甲第一二号証)には、前記のように債務者は東洋物療、代表取締役は室岡と記載されているが、商号が東洋物療に、代表取締役が室岡に変更登記がされたのは昭和五四年八月三〇日であるから、右借用証書は昭和五四年四月二七日ころに作成されたものでないことは、明らかである。

〈3〉 原告代表者本人尋問の結果よれば、昭和四五年一一月八日付けの借用証書(甲第一〇号証)については、当初賃借時に作成された借用証書は紛失したので、後になって作成し直されたものであるというのであるが、右尋問の結果によっても、甲第一〇号証が作成された日時、場所及びその作成された時の事情は明らかでない。

〈4〉 前記のように、良雄は安雄の長男であるところ、原告代表者本人尋問の結果によれば、良雄は昭和二二年生まれで、昭和四五年には大学生であり、良雄は、安雄が室岡に貸与するよう指示したので、同年に室岡に一〇〇〇万円を貸与し、また良雄が昭和五九年及び昭和六〇年に東洋物療に貸与した合計二八〇〇万円は、川口市内にあったアパートを処分した余剰金を原資としたものであるというのであるが、良雄が昭和四五年当時大学生であったにもかかわらず一〇〇〇万円を所有していた根拠、室岡が右借入れを必要とした理由、良雄が室岡から右貸金の返済を受けていないのに何故昭和五九年と昭六〇年に前記のような営業の実体がない東洋物療に合計二八〇〇万円を貸与したのかその理由、右川口市にあったというアパート及びその処分内容の詳細、邦枝が右のような東洋物療に昭和五五年一〇月二五日付けで一〇〇〇万円を貸与した理由はいずれも明らかでなく、また、貸金額が高額であるにもかかわらず、良雄の室岡や東洋物療に対する各貸金債権及び邦枝の東洋物療に対する貸金債権について物的担保あるいは人的担保が設定されたこと及び良雄や邦枝が右弁済につき催告をしたと認めるに足りる証拠はない。

〈5〉 原告は、本訴において、甲第九号証の一ないし三、第一一号証の一及び第一二号証について、いずれも原本を書証として提出したところ、原告代表者本人尋問の結果によれば、甲第九号証の一ないし三の原本を東洋物療に返還しておらず、原告がこれを所持しており、東洋物療には賃借がない旨の書面を差し入れたというのであるが、良雄は真実弁済を受けたのであれば、それにもかからず何故信用証書を返還しなかったのか、逆に東洋物療は債務を弁済したのであれば、何故信用証書の返還を受けないことを了解したのか、また何故本来債権者でない原告が右各借用証書を所持しているのかが明らかでなく、そして、原告が甲第一一号証の一及び第一二号証について原本を提出し得た理由は、本件全証拠によっても明白ではない。したがって、右尋問の結果中貸借がない旨の書面を東洋物療に差し入れたとの部分は俄に採用し難いばかりでなく、右借用証書が真実に基づくものであれば、これらを原告が所持しあるいはこれを書証として本訴に提出し得たというのは、不自然である。

〈6〉 成立に争いがない乙第八、第九、第二五及び第二六号証によれば、東洋物療名義口座が開設された昭和六二年八月一九日に四三〇〇万円が入金され、即日これが払い戻されたことが、また前掲乙第一七号証、第二〇号証、第二三号の一、二、第二四号証によれば、良雄、二重、みどり、邦枝の前記各口座の口座番号はかなり近接していることが、また前掲乙第一七号証、第二一号証、第二二号証、第二四号証、官署作成部分はその方式及び趣旨により公務員が作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべく、その余の部分は弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二八号証によれば、昭和六三年四月六日に被告が原告に対して実施した税務調査の際、被告の職員が原告事務所に保管されていた印章の印影を採取したところ、その中には良雄とみどりの前記各口座の開設に使用された印鑑と一致するものがあったことが、それぞれ認められる。

ちなみに、甲第二五号証によっては、直ちに良雄が原告に一五〇〇万円を貸与したと認めることはできず、甲第一三号証の一ないし七によれば、良雄、二重、みどりは、昭和六〇年三月六日にその共有にかかる川口市栄町一-一八-一所在の土地及びその地上建物を一四六〇万円で、同所一-一八-二所在の土地及びその地上建物を二八五六万七〇〇〇円で売却したことが認められる如くであるが、さらに進んで、良雄が右売却代金の清算に関して二重やみどりに債務を負担していたことを認めるに足りる証拠はない。

〈7〉 そして、そもそも、昭和六二年九月下旬ころに原告、東洋物療、良雄及び邦枝の間で、東洋物療が受領する本件手数料を同社と室岡の良雄及び邦枝に対する債務の弁済に当てる旨の合意がなされたと認めるに足りる証拠はない。

〈8〉 以上のとおり、東洋物療は営業の実体がないものであり、良雄が室岡や東洋物療に、また邦枝が東洋物療に高額の貸し付けをしたと認めるためには、その理由、原資において疑問があり、またこれを証明するものとして原告が提出した各借用証書(甲第九号証の一ないし三、第一〇号証、第一一号証の一及び第一二号証)にも合理的な疑問があって、真正に成立したものと認めることができず、東洋物療名義口座への入金とこれからの出金についても、右口座の開設と使用の状況が不自然であり、さらに東洋物療の受領する本件手数料を同社と室岡の良雄及び邦枝に対する債務の弁済に当てる旨の合意がなされたと認めることはできない。そこで、これら事実と、安雄と邦枝らとの身分関係、安雄が良雄やみどりの前記口座に使用された印章を保管していた事実、邦枝、良雄、二重、みどりの前記口座の開設、これへの入金及びこれからの出金も不自然であること、並びに前記のように原告が東洋物療に一億一〇〇〇万円の高額の手数料を支払うような合理的な理由がなく、またそのような合意がなされたことは認められないことに基づけば、東洋物療名義の領収書である甲第二号証の一、二も事実に符号するものということができないところであって、結局原告が東洋物療に本件手数料を支払ったと認めることはできないものであり、就中東洋物療名義口座を経て良雄と邦枝名義口座に入金され、さらにその一部が二重、みどり名義口座に入金された合計六三〇〇万円については、安雄が東洋物療への支払という外形を作出したうえ、自己が管理していた邦枝ら名義の右各口座に入金して、これを管理支配していたものと認められる。

3  本件課税処分の適法性について

(一)  したがって、原告の本件事業年度分の所得金額は一億八九〇六万九一一四円であり、右金額は本件更正処分(裁決により一部取り消された後のもの)において認定された所得金額と同額である。

よって、本件更正処分は適法である。

(二)  また、前記のとおり、原告は東洋物療に本件手数料を支払っていないにもかかわらず、右手数料として一億一〇〇〇万円を支払ったかのように仮装して、被告に対し本件確定申告書を提出したと認められるから、原告は真実の所得金額を知りながら、故意に著しく過少な金額を所得金額として申告したというべきである。

そして、本件更正処分における納付すべき税額七八四四万八九八〇円から原告が本件事業年度分の納付すべき税額として申告した三三一七万六九〇〇円を控除した残額は四五二六万円(一万円未満切り捨て)であり、この新たに納付すべき税額四五二六万円は、すべて本件手数料の支払を理由とする雑損失の金額の否認額に係るものであるので、その全額が本件賦課決定処分の基礎となる税額に当たるから、本件重加算税額は、これに一〇〇分の三五を乗じた一七六万七五〇〇円となる。したがって、本件賦課決定処分は適法である。

三  よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大喜多啓光 裁判官 高橋祥子 裁判官中川正充は、転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 大喜多啓光)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例